沈黙の光

今週の無料遠隔ヒーリングは、自身の存在に対する無力感、無価値感、悲しみ、心細さ、絶望といったものがテーマになっています。私自身にもまだまだこうしたものが根深く巣食っているのですが、それが日常の行動のあらゆるところに影響しているのを見て取ることができます。


以前に比べれば格段にそのボリュームとしては少なく放ってきていますが、それでも自分を駆り立て、追い込んでしまう癖がなかなかなくならないことの根底には、「今の自分ではダメだ」という無力で無価値な自分への拒絶があることが分かります。

今この瞬間の在るがままの自分とともに居るのが嫌なのですね。もう苦痛で仕方がない。

そのことに気づいたので、今この自分とともに居る、その自分に触れているということを意識するようにして見ました。すると、しばらくはいられるけれど、数十秒もすると意識はマインドの中に吸い込まれ、これからやらなければならない山のような作業や先の不安など、あれやこれやを考え始めて、もう自分は置き去りになっていました。

そして気づいたらまた元に戻ってやり直し、ということを一日に何度か、時間を見つけてやっていたら、つい先日、突然意識が静寂のスペースにアクセスしました。

それは多分ずっとそこにあったのだろうけれど、今まで私が気が付かなかったものが、ふとしたきっかけでそれを見つけることができた、というような感じで、とても鮮烈で、清浄な沈黙のスペースでした。沈黙なのだけれど、沈黙の音が満ちているような、何とも言えない不思議な感覚がしました。

それは初めての感覚だったので、一体これは何なのだろう?とマインドは興味深いおもちゃを見つけた子供のように、あれやこれやと考え始めます。けれど、まぁそれが何でもいいか、と割り切って、また最初にやっていた自分自身とともに在るというところに戻っていくようにしました。

今、それは私の中で少~しずつ安定してきているようですが、相変わらず沈黙して輝いているばかりで、それが何なのか、気づきはやって来ません。やっぱりエゴはそれが何かを知りたがっています。

が、知るべきことは自ずから答えがやって来るものだとも思っているので、知りたがるエゴはなだめあやしつつ、スルーするようにしています。

これがやってきた最初の日は、自身の内側に見えるこれと、現実世界の兼ね合いをどうとったらいいのか良く分からずに、意識は両者を行ったり来たりしていました。まだ、この沈黙の光が現実世界のベースのようには感じられなかったからです。

今は、意識がもう少し沈黙の光の方に近づいてきたので、光の静寂が現実世界の報に染み透って行くような感じに、少しずつなってきています。

意識は突然、今まで無かった領域が広がったり、変容して感じ方が変わってしまったりするので、先のことは全く想像もつきません。今回の変化も興味深いなぁと思いつつ観察していますが、数日もすればそれが当たり前になってしまって、自分が何に感動したのかさえも忘れてしまうのでしょう。

外側に彷徨う自身の意識を、くるっと反転させて自己の内奥をじっと見つめるということは、何の本だったか忘れましたが、どこかに書いてあったのを試してみたことがありました。

本では、自己の内奥には光が見える。それが自己の本性だというようなことが書いてあったのですが、私にはさっぱり分からなくて、そもそも意識をその方向に向けることが酷く難しかったのを覚えています。何と言うか、意識が筋違いを起こしてしまいそうな難しさだったのです。

が、多分この動画で囚人の男性が体験した光というのが、それだったのではないかと考えたりもしていました。

その時はそれで挫折してしまい、長らく忘れていたのですが、居たくない自分とともに居るという試みをしたときに、どうやらかつてできなかったその意識の使い方に近い状態になっていたようで、それが見えたのかもしれない、と勝手に考えました。(エゴはやっぱり出来事を整理して知りたがるものですね。やれやれ(^^;)

まぁそれが何であれ、エゴはこう問うてきます。「それが私の現実の問題に対して、何の役に立つというの?」と。エゴはいつもこれを価値判断の基準にしているので、役に立つのか立たないのかが最も重要な関心事項なのです。

けれど、今のところそれはとても心地良いということ他には、これと言って役立ちそうなことはまだなさそうです。それでもエゴは、これは重要なもののはずで、何かに役に立つはずだ。もっと探求して見よう!と居てもたっても居られません。

そうした行動自体が悪いわけではないけれど、多分これはエゴが「利用できる」類のものではないだろうともどこかで思っています。

ではなぜ、これが重要なものだと感じるのか。レナードはしばしば、「プレゼンスを選択するのは、人生の真実がここにあるからだ」と言います。

私は本当のところ、この言葉の意味がまだよく理解できていません。けれど、理解できないところで、間違いなくそれはとても大切なことだと分かるのです。

これと同じように、この沈黙の光もエゴの理解の範疇を超えたもの故に、エゴが利用するということはできないのだろうと思うのです。

取り敢えず、今はただこの沈黙の光とともに居るということを続けてみようと思っています。

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