現在公開中の映画「沈黙」が気になっていて、近々見に行こうと思っているのですが、そう言えば最近、「信じるもの」「信念」というキーワードのテーマが微妙に来ているな、と気づきました。
人は、何かしら信じることで自分を支えている部分があると思います。それが信仰だったり、自分の学んできたものだったり師であったりするわけですが、信じるものによって自分を磨き、高めることがある一方で、信じるもの以外の可能性を拒絶し、独善的になったり頑なになったりすることもあると思います。
あらゆる可能性に自分を開いているには、信念というのは実に障害になるときがあるのです。
信じていたものが揺らいだ時、私たちは自分の生きる世界が崩壊していくような、精神的な混乱を体験します。信念が固ければ固い程、その混乱や動揺、絶望は深いものになるでしょう。
それが故に、私たちは自分の信念を揺るがせるようなものを恐れ、時に厳しく批判し、弾圧すらするのです。それはつまり、自分自身の存在の安定を絶対のものとしたいからです。
ということは、裏を返せば、弾圧する者の心の奥には、自身の存在の不安定さが常に付きまとっているということになります。
もしその人が自身の存在について、一点の疑いもなくその価値や絶対性を、頭ではなく全存在で感じていたなら、それを証明するためのどんな信念も必要無かったでしょうし、信念を脅かす異論や批判も、全く問題にはならなかったでしょう。
あらゆる意見にニュートラルに自分を開きつつ、自身の内ではしかと存在の絶対性を感じながら、自在に生きることができたはずだと思うのです。
弾圧するものとされる側の心の奥深くには、自身の存在に対する無価値感や無力感、深い絶望や悲しみといったものが共通してあるのでしょう。
どちらも、自分の信念に対して異論を唱えられるのも困るし、信念を手放すことは、絶対にしたくないのです。なぜなら、そうすることは即、信念によって封印されていたあの無力感や絶望感が浮上することを意味するからです。
自身の周囲の人間関係を振り返ってみて、どうやっても受け入れ難く、心穏やかではいられないという価値観の人が誰にでも一人や二人はいるだろうと思います。そんなとき、私たちは自分の信念、価値観に立脚した自身の正当性から相手を見てジャッジメントしているのでしょう。
そういう人に出会ったことは、自身がしがみついている信念に気づく良い機会です。
相手の価値観が受け入れ難いと感じたとき、あなたの中には多分、「それはこうあるべきでしょ」と考えるスタンダードがあるはずです。それとあまりにも違い過ぎるので、拒絶という反応をしているわけですが、ここでこう問うてみましょう。
「なぜ、こうあるべき姿でないといけないのか。そうでなかったとしたら、どうなるのか。何が不都合なのか」と。
たとえば、「我儘ではいけない。周囲の人との調和を図るべく、常に気を使うべきだ」という思いが強くトリガーされたとします。では、もし自分がそうでなかったとしたら、どんな状態になってしまうでしょうか。
あなた自身が我儘で自分勝手、独善的で周囲の迷惑も考えずに行動していったとしたら、とイメージしてみてください。すると、周囲の人から嫌われ、相手にしてもらえず、孤独になってしまう、等と出てきたとします。
ワークでは、この辺りを体感覚を感じながら詳細に掘り下げていきます。周囲の人からどんな扱いを受けたような気がするか、その時どんな気持ちになったのか、どんな風に孤独で、どんな暮らしをしていそうか、その人生では最終的にどんな風に死んでいくだろうか、などとどんどんイメージしていきます。
孤独や悲しみ、怒りや心細さ、不安など、身体の感覚から離れずに、命の呼吸をしながらやっていくと、少々キツイストーリーも落ち着いて掘り下げていけるでしょう。
出てきたストーリーは、実はあなたの魂がどこかで実際に体験した人生の記憶です。つまり、幼少期か過去世です。
ストーリーは様々ですが、自身の存在に対する無力感、無価値感、悲しみ、心細さ、絶望といったものは、おそらくほどんどの人の中に在るだろうと思います。私たちはこれらを受け止められず、何度も何度も繰り返しそれらを癒すチャレンジをしてきているのでしょう。
今回は、改めてこれらに直面してみたいと思います。
というわけで、今週の無料遠隔ヒーリングのテーマはこちら。
「信念」にしがみつく元になっている無力感、無価値感、絶望を癒し、統合するよう最高最善に働きかける
参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ1月25日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。