何かを手放して行こうとするとき、しばしば私たちの心の中には葛藤が起こります。これまで支えにしていたものがなくなる恐怖だったり、未知の世界に踏み出す不安、これまで積み重ねてきたものが全て無駄になってしまうという未練、残していく者たちへの後ろめたさなどなど、こうしたものに巻き込まれてしまうと、身動きが取れなくなってしまいます。
慣れ親しんだ状態から新たな未知の状態へと移行するのは、自身の内外のバランスが大きく変化しますので、何かとストレスがかかるものです。進学や就職、引っ越しや結婚などを考えてみても、誰しも大きな期待と同時に不安を感じながら、その節目を通過してきたのではないでしょうか。
私たちは誰しも、多かれ少なかれ慣れ親しんだものの中で心身ともに安定するということがありますから、状態の変化に適応していくというのは、いずれにせよ一仕事なわけです。
人生のイベントなど分かりやすい節目であれば、比較的自分でも気を付けてケアをしやすいのかもしれませんが、必ずしも分かりやすい変化ばかりではありません。
ヒーリングで何かブロックが外れたりして心の中のバランスが変化するときも、実は注意深く見守っていく必要があります。それは、どんどん楽になっていく感覚もある一方で、今まで微妙なバランスの中で隠れていたものが浮上したりして、別のテーマが見えてくることもよくあるからです。
現れたものは、そのポジションの自分だからこそ向き合えるものですから、落ち着いて向き合っていけば解放のプロセスは進んでいきます。
けれど、変化に対して本能的に感じる不安や恐怖などに飲み込まれていると、自分で流れに逆らってブレーキをかけてしまうことがあります。こんなときこそ、その状況の中で本当は自分は何を恐れているのか、恐れの正体を明らかにして落ち着いて向き合っていくと、人生の自然な流れを心地よく通り過ぎていけるでしょう。
恐れや不安を抑圧するのではなく、自分の中にそれらが存在しても良いスペースを与えてあげましょう。最初は、あまり心地いい感覚ではないかもしれませんが、「居場所」を与えてあげることで、それらは暴走しなくなるので、抑圧した時ほど不快ではなくなるはずです。
私たちだって、自分の居場所が与えられなければ心細いですし、まして存在を否定されたら悲しいですよね。自分の気持ちが何であれ、それに対して居場所を与えてあげることは、今この瞬間の自分に安らぎをもたらすのです。
自分が変化していくことに対して、抵抗を感じる理由は人それぞれです。変化してしまったら、真っ先に何が不都合なのか。先入観を外して、じっくりと自分の気持ちに聞いてみてください。思いもしなかったような答えが出てくることも、よくあります。
頭で考えると、どうやっても変化に逆らうしか道は無いように見える状況も、自分の気持ちをしっかり受け止め、解放してから改めて向き合ってみると、まったく違った現実に受け取れ、それまで絶対にできないと思っていたことがいともたやすくできてしまったりします。
ですから、状況について考えることと、自分の気持ちを感じながら体験する現実というのは、全く違ったものになるのです。
このことは、感情のエネルギーについて学んでいれば、当然のことなのですが、それを体験したことのない人から見ると、なかなか受け入れ難いことのようです。けれど、このことを知って実践できるかどうかで、現実の捉え方、その対処の仕方、世界観は相当に違ってきます。
負けを認めるとどうなるのか、積み重ねたものを失ったとき、最悪何がイヤなのか、自分を支えられないかもしれないという恐れは「絶対の真実」なのか、そうではない可能性は1%もないのか。私がいなくなったら、困る人たちがいるというのは本当なのか。彼らに対する義務を自分が背負わなくてはならないというのは本当にそうなのか。
表面的に触れただけで引き返すのではなく、さらに一歩踏み込んでみて問うてみましょう。ザワザワと落ち着かない気持ちを命の呼吸で受け止めながら、急がず、じっくりと問うのです。
私たちの多くは、こうした問いかけをする時、苦しい感情が浮上するとすぐにそれ以上掘り下げて向き合うことを止めてしまいます。さらに一歩も二歩も踏み込んで掘り進むことが、なかなかできません。
なぜできないのかと言えば、掘り進んだ先に浮上する苦しい感情に対処できないからです。そうして私たちは人生の流れに逆らい、手放すべきものにしがみついてしまうのです。
恐れたり不安になること自体が悪いわけではありません。そうぞ、怯え、恐れる自分に優しく在ってください。そうした気持ちのカケラを抱きしめることの出来る自分だからこそ、新たな世界での体験をのびのびと楽しめるのであって、都合の悪い気持ちを切り捨てる自分のままでは、新たな世界に進んでも、辛い体験になってしまいます。
傷つき、怯える自分を、どうぞ優しく抱きしめる自分でいてください。