イブですねぇ。みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は普通に仕事ですが、今年もこんなサイトをご紹介いたします。サンタ追跡サイト→Googleサンタを追いかけよう、NORAD
さて。水星逆行中のこの時期、少々気合いを入れて自分の中にあるブロックに向き合っております。以前から気になっていた、身体の中でガッチリと固まっているブロックをじっと感じては、今この瞬間、これに向き合うぞ!とコミットメントし、開かずの扉を開くプロセスを開始しています。
そのテーマはもう何年も前から知っていて、取り組んでは来たもののあまり進展のなかったテーマで、その間は直接それには関係ないけれど、そのときできるテーマにコツコツ取り組んでいまいした。
そんな亀の歩みではありますが、ここにきて改めてそのテーマに向き合うと、不思議と以前とは違った感覚をもってそれに臨んでいるように感じるのです。
ワークショップなどでもよくご説明させていただくのですが、「ここにこんなテーマがある」と分かっていても、その時にそれにダイレクトに向かっていくのが適切ではないときもあります。それを完了させる前に、いくつか片付けて置かなければならないテーマがあったりすると、手を伸ばしてもそれにたどり着くことができないのです。
これを分かりやすく例えると、ティッシュの箱の真ん中に目指すテーマがあったとします。これを一つだけ取り出そうとすると、かなり面倒なことになりますが、上から順番にティッシュを引き出していくと、スムーズに目指すとそこにたどり着くことができます。
この「上から順番に引き出していく」というのが、「今この瞬間が差し出すものを受け取っていく」ということなのです。
ワークをするとき、今この瞬間に感じているものから入ると、思っていたものと全然違ったものが出てきたということがあると思います。けれど、それは目標にたどり着くための最短の導きなのです。
そうして私も、その時その時、差し出されているものを受け取って応答して行った結果、やっと核心にダイレクトに触れて行けるところまで来たという実感を得ています。
そのテーマに関して、現在私はほぼ「諦めている」状態で、自分には縁のないものとして人生からバッサリ切り捨ています。望みを抱こうとするたびに切り捨てる、却下、取り合わないということを反射的に繰り返しているので、自分でもこれに向き合うのはかなりエネルギーが要るな、と感じています。けれど、今の私ならできないことは無いだろうとも思っています。
秋口から、別のテーマに関して、自分の人生には全く関係のないことと思っていたものにも行動することができているので、きっとそんな風に、始まったらどんどん進んでいくのでしょう。
そのテーマがどれだけ自分の人生の流れを止めているか、実のところあまり自覚はありません。ここが開いたら、かなり変わるという確信はありますが、別にそれに触れなくても今のところ実質的には何の支障もないというか、このまま人生が終わっても、それもアリかな、なんていう思いもあったりします。
けれどその思いすら、感情のフタであり偽りの理屈だと、私はどこかで知っています。にもかかわらず、それが偽りだと叫ぶ真実の声が、あまりにも厚いブロックに阻まれて容易に聞き取れずにいるのです。
ただ、ブロックの体感覚だけは誤魔化しようもなく、重く胸の奥に高密度のタールのようにへばりついている感覚はあるので、これは本来の状態ではないと分かるわけです。
意識をそこに向け、必ずこの扉を開けるとコミットメントするだけでエネルギーが流れ込んでいきます。それだけでも、胸の奥に深く深く透って行くものを感じます。
私は一体何から逃げてきたのか。問答無用で切り捨てなければならなかったほどの、どんな思いを残してきたのか、再びそこに向き合っています。
胸が張り裂けるならそれもいいし、断腸の思いをするのならそれもOKだと、注意深く自分のスタンスを整えながら封印された痛みの方向に意識を向けていくと、どんどんとブロックのエネルギーが変化していきます。
まるで大きな地殻変動が起こっているかのように、全体像は分からないけれど、想像を超えた何かが起こっている感じがするのです。
少なくとも切り捨てない、ごまかさない、声を聞く、決して見捨てない、必ず迎えに行くと決める。今は揺るぎなく、そう決めている自分が感じられています。
このスタンスから見えてきたのが、このテーマを諦めてきたことで、私は深いところで神を信頼できていなかったのだということでした。
「どうせまたダメなんでしょ?だったら、期待を持たせるなんて残酷なことはしないで。最初から、『お前にそれは無い』と言ってくれた方が余程マシ」と思っていたのです。
このことは、つまり「『神は私にそれを与えない』という現実を、私が決めている」ということです。先のコミットメントは、この現実を直接ではありませんが、変えていくことになるでしょう。
引き続き、取り組みを続けていくことにします。