明日10日の感情解放ワークショップですが、まだお席はございますので、ご検討中の方は是非どうぞ。
さて、先日感情解放ワークをされている方から、ご自身の感じているものについて、疑いを持ってしまうというお話を伺ったので、ワークを実践されるみなさんの参考になればと思い、私なりに思うところをシェアさせていただきます。
感情解放ワークでは、自分自身の感じているものが何であれ、それを判断、ジャッジメントしないで受け取っていくことで、自身の真実とつながっていきます。これを疑ってしまうと、自分の真実につながれないまま、ワークが迷走してしまいます。
たとえば、悲しいと感じているのに、この悲しみは錯覚なのではないか?悲しいはずがない、悲しむのは我儘だ、などと疑ったり否定してしまったりした瞬間、自分が何を感じているのか、どう考えているのかさえ分からなくなり、自身を見失うのです。
この「疑う」という行為が起こる瞬間を丁寧に見ていくと、疑いが生じる少し前には、何かしら不安定な落ち着かない気持ちが浮上しているはずです。微妙に苦しかったり、不快な感覚がするのが嫌で、そこから逃れようとして思考が生じます。それが、疑いの思考です。
その後の流れの例を挙げると、大体こんな感じになるでしょうか。
やっていることをトリガーとして、不快な感覚や感情が浮上
→これは間違っているのでは?と思考のマインドに逃避
→間違っているのだとしたら直さなくては。
→どうしたら正しくなるのか?
→今この瞬間の自分を否定して「正しい自分」という概念を探し求めて自分と分離
これは一瞬で起こるので、自分がいつからどうやってマインドに逃避したのかに気づくことは、ほとんどないでしょう。この流れに沿って、結局自分と分離してしまうので、自分が分からなくなってしまうのです。
疑いが生じてきたときは、大抵思考が高速で駆け巡って、ハムスターが車輪を延々と回し続けるがごとく、同じところをクルクル回り続けるのです。そうなってしまうのは、ひとえにそれが逃避行動であり、本人は状況に対処しているつもりでも、根本的には何も触れていないからです。
この疑いのループから脱出するには、「疑いを持たなかったとしたら、どんな気持ちが浮上して来るか?」と問うてみて、浮上してきた気持ちを身体でしっかり捉えるようにすると、「自分の真実」に戻ってきます。
それは不快な感覚・感情だと思うので、ちょっと気持ち悪いのですが、しっかり命の呼吸を通してエネルギーチャージをしながら進めると、不快なりにも受け止められると思います。
このように、どんな逃避行動が生じたときも自分に戻ってくるには、「逃避しなかったとしたら、浮上してくる気持ち」を捉えることです。
逃避行動にはこのほかに「諦め」というものもあります。私たちは、様々なことに多かれ少なかれ諦めているものがあると思います。辛すぎることが重なるとその苦しみに耐えられず、生きていけないので、諦めることによってその苦痛から逃れ、どうにかして生きていけるように自分を守っているのです。
こうした逃避行動は本来、一時的な緊急避難措置であり、ずっとその状態でいることを前提としたものではありません。だからどこかの時点で苦しみ自体に根本的に対処しなければならないのですが、私たちは往々にしてその方法が分からないので、慢性的にそれを続けてしまうのです。
あなたがもしこのことに気づき、それに対処する必要性を感じたのだとしたら、できる限り速やかに始めた方が、苦しむ時間が短く済むだろうと思います。
この他、様々な逃避行為や思考がありますが、「自分はダメだ」と思うことも実は逃避だと言えます。ダメだと思うことでさらにがっくり来てしまうので、それが逃避だと言われると違和感を持つ方もあるかと思いますが、ダメだと思う直前には、やはり何かしら辛い気持ちが浮上しているはずです。
それはひどい動揺だったりショックだったりするかと思いますが、生々しいそれらを感じるよりは、いったん「ダメだ」という思考に置き換えることで、心地よくなるわけではないにせよ、多少はその衝撃が和らぐというわけです。
このように、逃避が起こる仕組みはみな同じなのです。
私たちが感情のエネルギーを受け止め難く感じる理由の一つは、その感情にストーリーをひっつけて受け取ってしまうことが挙げられます。
どういうことかというと、たとえばあなたが仕事で何か失敗をしたとします。その瞬間、とても動揺して気持ちを受け止められず、思考が走ります。
相手の人は自分を悪く思うだろうとか、上司に怒られる、みんなに迷惑をかけてしまった、自分の先行きは真っ暗だ、などなど勝手に妄想を膨らませ、仮想の現実で起こるであろうストレスもまた一緒に背負ってしまうのです。
本来は、起こった感情のエネルギーだけを受け止めればいいだけなのですが、私たちは必要以上にそれを自分で膨らませ、大きな困難に作り上げてしまうのです。
感情を、単なるエネルギーの感覚であると捉えられると、もっとシンプルにこれに向き合い、受け止めていかれるのではないでしょうか。