真実を受け止めて生きるのは、とても大切なことであり、全ての癒しと調和の基盤です。けれど、実際にそれを生きるのは、しばしば勇気を必要とすることがあります。真実は必ずしもすべての人にとって、心地よいものであるとは限らないからです。そうであってもなお、真実を選ぶとき、私たちの人生は大きく変容していきます。
私はよく、セッションやワークショップなどで、自身の真実にしっかりと向き合い、受け入れていくことが大切ですよ、ということをお伝えしています。
「真実を生きる」というと、何となく良いことのように思えて「私もそうしていきたいです」とおっしゃる方は多いです。けれど、実際にそれを実践しようと思ったら、真実をどれだけ拒絶している自分がいるか、ということをすぐに思い知ることでしょう。
たとえば、自分のイメージの中では親切で善良な自分のはずなのに、真実の自分はとても意地悪で卑怯で、嫉妬深いかもしれません。そんな側面を自身の内に見つけたら、あなたはそれに背を向けずに直視することができるでしょうか?
真実を求めて行ったら、「見たくないもの」を見てしまう可能性は非常に高いです。誰だって、キラキラきれいでありたいし、優しく善良、有能かつ強く魅力溢れる自分であってほしいのです。
自分はそんなにきれいじゃないし、と思う方でも、自分の価値観において、少しでもマシな自分でありたいはずです。その価値観に外れる自分であったとしたら、耐え難い苦痛を感じるでしょう。
普段はそうした価値観を意識することは多くはないかもしれませんが、ダメな自分、醜い自分、あり得ない自分を思ったとき、咄嗟に拒絶してしまうのではないでしょうか。
自分が何を拒絶しているのかを知ることは、自身の現実をより生きやすいものにしたり、自分の器を広げるうえでもかなり重要なポイントになります。
というのは、内側で自分が拒絶している要素を、外側の現実に引き寄せてしまうからです。
ダメな自分を拒絶すれば、自分のダメさ加減を否応なく味わう出来事が起こったり、あるいは周囲にどうしようもなく「ダメな人」を引き寄せ、あなたの心をかき乱したりするのです。
そうした出来事によってかき立てられた嫌な気持ちを味わいたくないから、あなたはそれを激しく拒絶しているわけですが、そうすればするほどに、その気持ちを味わうことになるわけです。
感情解放のワークでは、この気持ちを受け止めていきます。不快ではありますが、ちゃんと命の呼吸とともに受け止めていけば、安全に統合することができます。すると、あれほど不快だったエネルギーはす~っと消えて、自分の中に調和が訪れるのです。
ほとんどの人はこうした不快感が起こった時、「嫌だ!」と背を向けますが、ワークでは反対に真っ直ぐに直面することで、根本からの癒しと変容に導きます。
自分のある要素を、それが嫌いだからと言って拒絶して無いことにするのは、自分に対する裏切りであり、嘘をつく行為です。ちょっと厳しい表現ではありますが、実際、切り捨てられた気持ちのカケラ君たちの声を聞くと、「裏切られた」「卑怯者!」という言葉がしばしば出てきます。
多分、あなた自身の現実においても、そのように自分を裏切る人、卑怯な人に煮え湯を飲まされた経験があるのではないでしょうか。それは取りも直さず、あなた自身が自分に対してしていることを、見せられただけです。
苦しみの只中に在って、最も助けを必要としているときに、苦しんでいる自分を見捨てて逃げてはいないでしょうか。
ワークでしていることというのは、この苦しんでいる自分に向き直り、助けに駆けつけることです。最も苦しい時ほど、自分から離れず、ともに在ることが大切なのです。
そうすると、状況は厳しくとも気持ちがホッとして安定します。何とかなる、という実感とともに、苦痛や恐怖で動けなくなるのではなく、適切な行動をとることができるようになるのです。
苦しんでいる自分に気づくのは面倒だし、醜い自分を受け入れるのは嫌だから、と自身の真実を拒絶してしまうと、それらは封印され、身体の中にずっと残ってしまいます。対処されないままに傷は膿み、傷み続けるのです。
真実を見つめることが苦しいのなら、その苦しみを在るがままに、深く呼吸をしながら身体とともに受け止めてみてください。そして、そこから始まる癒しを受け入れてみましょう。
癒されることを拒み、止めているのは自分以外にはありません。癒されるのにも、ある種の勇気が必要な時があります。どうしても手放せないと思うものがあるのなら、なぜ手放せないのか、もっと深く自分に問うてみることです。
調和に向かう流れをあなたが止めてしまうことは、周囲にとっても結果的に不調和を生むことになります。あなたの真実を生きるという決意は、宇宙にとって、関わる全ての存在にとって、素晴らしいギフトになるでしょう。