昨日は感情解放ワークショップでした。ご参加くださった方、ありがとうございます。昨日は事あるごとに浮上して来る絶望感や無念さといった、重たい感情を迎えに行きました。自分では無理!と思っていても、自分にかけている制限を外していくことで、ちゃんと統合し、癒していくことができるんですね。
私たちはネガティブで重たいと感じるような感情が浮上すると、自動的に抑圧し、お腹や胸の奥でザワザワとしたものを感じながらも絶対に触れないように、と隔離するようなことをしばしばやっています。
けれど、隔離したとはいえ消えるわけではないので、その状態で何か引き金になるような出来事があれば、そのザワザワは一気に噴き出してきます。
とは言え、それに根本的に対処する術を知らない私たちは、恐れおののきながらも再び蓋の奥にそれが収まってくれることだけを願って、必死で抑圧するしかないのです。
根本的にこの繰り返しを終わらせたければ、自分が恐れているものをしっかりと見ることです。見て、問うのです。「自分はこれの何を恐れているのか?」と。
ゆっくりと命のエネルギーを身体に取り入れる呼吸をしながら向き合えば、それまでとても辛くて意識を向けることすらできなかったことが、できるはずです。
命のエネルギーを取り入れながらやるからこそ、これが可能になるのです。たとえるなら、命の呼吸は、深い海の底で作業をする潜水士に酸素を送るチューブのようなものです。
これがあれば、どんな感情の海に沈もうと、意識をしっかり保って作業をすることができます。ワークをする時は、この命の呼吸を絶やさないことを、心にしっかりと刻んでおいてください。慣れないと、苦しい感情を受け止めるときに、つい呼吸が止まりがちになってしまいますから。
よ~く自分が最も恐れているものを呼吸をしながら見つめ、問うて行くと、たとえば自分がバラバラになってしまう、気が狂ってしまう、泣き崩れて立ち上がれなくなってしまう、自分には到底受け止められない、無理だなどの思いが出てくるかもしれません。
そうしたら、さらにこう問うて行きます。「それは本当にそうだろうか?」と。
本当にバラバラになってしまって、気が狂い、立ち上がれなくなってしまうのでしょうか?受け止めることは絶対に、100%無理だと言い切れるのでしょうか?可能性は0.1%もないでしょうか?
それを問うてみるのです。恐怖に飲み込まれているときは、0.1%の可能性も見つけることなく即座に「無理!」と思うでしょうが、しっかりと意識をもってじ~っと可能性を見るならば、絶対に無理だと言い切ることは不可能でしょう。
次の瞬間に、何が起こるか分からないわけですし、私たち人間が予想できること、認識できることなどごく限られた範囲でしかないことは、誰もが知っています。つまり、可能性は0ではないのです。
私たちが感情に飲み込まれているときは、目をつぶって見えない!見えない!と叫んでいるような状態です。見えないのではなく、そもそも見ていないわけです。もし目を開いて見ることができたならば、絶体絶命だと思えたその状況の先に、まだまだ続く道が見えるでしょう。
死んでしまう!もう終わりだ!と思ったその瞬間でさえも、です。私たちの意識は、死の先にさえ続いているのですから。
この辺り、「永遠なる意識とエゴ」の記事や、消えてしまった過去のブログで何度かご紹介したことのある、ムージの「真理の指輪」の動画も参考になさってみて下さい。
「もう終わりだ」と思うとき、私たちは諦めて、意識は自分から離れてしまっています。その瞬間、そこで感じていたはずのあらゆる感情や感覚が時間を止めて、そこに留まってしまうのです。このエネルギーを私たちは抱え込み、何年も、時には次の人生まで持ち越して行きます。
どんな瞬間も、自分が体験しているものから離れないでいることです。そうすれば、体験はこの「私」という意識のスクリーンに何かしらを映し出して、後腐れなく去って行きます。
大きな挫折を味わい、絶望し、無念さの中で身動きが取れなくなっているときも、道はそこで終わってはいません。ただ、あなたが道を自ら諦めて終わりにしたとき、終わってしまったように錯覚するだけです。
この現象界は、変化がその本性です。永遠に変わらぬものはありません。ならば、本来絶望し続けることも無念さに留まることも、できないはずです。明けない夜はない、止まない雨はないというように、必ず変化していくものです。
絶望に固まっている自分に、深く命の呼吸を送ってあげましょう。これは、あなただけができることです。あなたには、苦しみもがく自身を癒す力があるのです。それを行使しましょう。これまではそんな力があることも知らず、全く使っていなかったでしょう。
今、自分本来の力を使うと決めればいいだけです。あなたは