私たちの人生では、時としてどうしても超えて行かなければならないものに対峙する時があります。暗闇を手探りでもがきつつ進むような苦しみの中、様々な感情が浮上させられるでしょう。古い自分が崩壊し、慣れ親しんだ現実が破壊されて行く中で、新たな世界が再生されて行きます。その時、私たちは大きなシフトを経験するのです。
早いものでもう11月。今年もあと2か月となりました。個人的には激しく揺さぶられ、まるで洗濯機の中でもみくちゃにされたような先月でしたが、ハロウィンの新月を過ぎ、洗濯が一段落して何やら新しいタームに入ったような雰囲気が漂っています。
先月は、私にとっては苦手を通り越して、まるで理解不能であるが故に手が付けられずにいたテーマに対峙したことで、現実的にも心情的にももみくちゃになってしまいました。けれど、その中で噴き上がってきた諸々を必死で受け止めていった結果、思いの外自分が浄化されていることを実感しました。
自分でやろうと思っても、ここまで深く、短期間ではできなかったでしょう。
心の奥底に溜まっていたヘドロがきれいになったところで見えてきたのは、「本当はもっとこうなりたい。こんな風に生きていきたい」という望みでした。
今まではヘドロで隠されていて、近づこうにも「この先は水が濁っていて先が見えないし、危険だからこれ以上は無理」と引き返していたところが、容易に近づいて「それを実現してもいいのだ、ぜひやりたい!」と思えるようになってきました。
強烈なアクシデントは痛かったですが、破壊には創造という愛の側面がちゃんとセットされているのですね。だから目先の悲劇にどっぷりと沈み込んで悲観することはありません。むしろ、破壊があったのなら、その次にやって来る創造を楽しみにするくらいでいいのではないかと思うのです。
どちらにせよ、やって来るものを経験しなければならないのだとしたら、愛にフォーカスしていた方が楽です。
一時、激しい痛みにのたうち回る時があるかもしれません。それでも、そのときできる限りの最善を尽くしてその体験を受け止めていくことを続けていけば、道は開けていきます。
苦しさの余り自身の体験を否定し、それを生きることを拒絶してしまうと、苦しみが身体の中に留まって先に進めなくなります。時間をかけてもいいので、ゆっくりゆっくり受け止めていきましょう。それは、決して不可能なことではないのです。
破壊は、平穏に生きていきたい私たちにとっては非情なる仕打ちと捉えがちですが、硬直して新陳代謝がうまく行かなくなったあらゆるシステムを一新し、再生させるダイナミックな宇宙の摂理です。
新たな創造の中で自分を再生させたいのなら、その創造の流れに逆らわず、ともにプロセスを通過することです。
流れの中で体験するあらゆることは、あなたの中で不要になった古いプログラムを焼き尽くし、新たなフィールドを生み出します。慣れ親しんだものが崩壊して行くのは大きな衝撃を心身に与えますが、それはなんら間違ったことではなく、恐れることでもありません。ただ、通過していくだけです。
古いしがらみから解放されたあなたは、これまでの既成概念に縛られずに自由に自身の人生を創造して良いのです。大胆にチャレンジをし、夢中で人生を生きてみましょう。
長く触れてきたものを手放すのは、支えを失うような心許なさを感じるかもしれません。けれど、どんなに長くてもあなたがそれとともに在ったのは、たかだか数十年です。あなたの魂は、無数の破壊と再生を繰り返しながら旅をしてきました。それを手放しても、あなたはちゃんと歩んでいけます。
やって来ては去って行くものにしがみついたとき、私たちは宇宙の調和から外れてしまいます。安心したいが故に掴んだものによって振り回され、不安と混乱の渦に飲み込まれて行くのです。
だから、今あなたの現実が大きく変化し、気持ちが混乱していたとしても、焦らず起こることを起こるように起こさせてみましょう。そして、ただ起こることを丁寧に受け止めていくと、やがて破壊のタームは過ぎ、創造のタームが始まります。
このタイミングは、エゴの力でどうにかすることはできません。ただ、この流れ自体が創造するようにしかなっていかないのです。ここは、人間の力をはるかに超えた創造の力に委ねていましょう。そのとき、私たちは宇宙のリズムで生きていく感覚を再び取り戻していくのでしょう。
シフトは、しばしばエゴのコントロールが及ばない状況の中で起こります。
エゴのコントロールは宇宙のリズムから外れていることが多いので、人生にやって来る許容限界を超えた出来事というのは、コントロールを手放させるために起こると言えるかもしれません。
そう考えると、人生には良いことしか起こらないのです。心配しないで、流れとともに在りましょう。