得意分野と苦手分野があるなら、得意分野に注力した方が成長も早いし簡単だとよく言われます。これには大いに賛成ですが、人生、時には苦手分野に取り組まなくてはいけないときもあります。それまで嫌厭し、成長の足かせにさえなっていた分野が苦手ではなくなると、足かせが消えて得意分野と併せ、大きな飛躍が実現されます。
近頃、これまで苦手で避け続けてきたPCやネット関連の諸々を少しずつ勉強しています。これまで、そうしたものにかなりアレルギーがあって手を付けてこなかったのですが、ブログ消失事件の反省もあり、やはり勉強は大事だなと痛感し、頭をクラクラさせながら取り組んでいるところです。(^^;
これから、誘導瞑想の音声をダウンロードできるようにしたり、デモセッションの音声をホームページに貼り付けてみようとか色々とやりたいことがあるので、避けては通れないところです。
勉強し始めると、あれもこれもできないかと欲が出てきます。けれど、ちょっとしたことを学ぶのも、私にはこの分野のことにさっぱりセンスがないので、すぐに頭がフリーズしてしまいます。これくらいのこと、センスのある人ならささっとできてしまうのでしょうが、私には苦行以外の何物でもありません。
たとえば、ブログのヘッダー画像なんかも色々といじってみたのですが、このテンプレートできれいに作るには、タグを編集したりcssの知識も必要なようだということが、色々調べたり問い合わせたりして4日かけて判明し、私にとってはかなりハードルが高かったので今はこんな感じで妥協してます。(^^;
本当に亀の歩みで遅々として進まないこの状況、自分が試されているなぁと思うのです。
勉強して身に付けなければいけないことが山ほどあるというだけでもプレッシャーなのに、その上それがとんでもなく苦手でセンスもないとなると、気持ち的にはかなりしんどいものがあります。
ネット上にはたくさんの情報が溢れていますが、情報はそれを使いこなしてなんぼのものですから、消化するのが大変なんですね。
でも、諦めて放り出したらそこで終わりです。ここで学んだことは、これからすることのベースになるものなので、今は苦しいけれど、この先長い目で見たときの財産になると思って頑張っています。
ブログも、書くだけならどれだけ長い文章でも書けてしまいます。それは私の特技ではありますが、それだけでは次のステージに行くことはできません。そろそろそうしたことも勉強しなさいよ、と尻を叩かれているようです。
これまで、ず~っとそれが嫌で「必要ないし!」と見向きもしなかったのになぁ。。。(^^;
必要がなかったのではなく、こんなに苦しくなるのが分かっていたから、手を付けなかっただけなんですね。
私たちはとかく苦しいのは嫌で、何としてでも楽な道を探したがります。もちろんわざわざ苦しい道を選ぶことはありませんが、本当はやらなければいけないのに、ギリギリまで先延ばしにして逃げ続けることも多いのです。
苦手を避けるが故に成長が制限されることもあるでしょう。「それはできない」と制限することで、どれだけの遠回りをすることになるか、客観的に見ればすぐに分かることなのに、本人にとってはそこで味わう苦しみを避けるためなら、遠回り程度の苦しみなど大したことには思えないのです。
けれど、そうやって逃げても避けては通れない時があります。人生は、私たちにそうしたいびつな在り方を修正するように、と様々な状況を差し出して来るのです。
逃げ腰で事に当たればただ苦しいだけの災難ですが、次のステージに上がるための布石だと先を見据えることができれば、この瞬間の辛さも昇華できるでしょう。
以前何かの番組で、サッカーの本田圭佑選手が昔、走ることがあまり上手ではなく、陸上部の友人に走り方を学び、一緒にトレーニングをしてその苦手を克服したということを知りました。
確かに、その番組で流れた本田選手の当時の動きはその友人の評した通り、「どんくさい」感じでした。今の姿からは想像もできませんけれどね。
超一流の選手でも、生まれながらにして最初からすべてが出来上がっていたわけではなく、当然のことながら想像を絶するような努力の積み重ねで一流になって行ったわけです。
いわんや、凡才の私が数週間PCに苦しむ程度のことなど、大したことではないな、と改めて自分を奮い立たせています。
人間、結果が出なくて焦りと不安の中で過ごす時ほど、磨かれるときはないと思うのです。そんな状況は誰しも嫌で避けようとするでしょう。でも、そうした状況にあるときこそ、「ラッキー!私、今すっごく成長させられてる!」なんて能天気に思えたら、素敵ですよね?
私だったら、そんな人を見たら多分、人として惚れてしまうだろうなぁ。。。
だから自分がそうなろう。
そんな風に今、思っています。