私たちは日頃、たくさんの気持ちを抑圧しながら生きています。それらが溜まってくると、心が苦しくなって病んでしまうことさえあります。これらを上手に解放してあげることは、身心の健康に良いというだけではなく、実は現実があなたに優しいものに変わっていきます。それは一体なぜなのか。今日はその辺りをお話してみます。
感情解放ワークでは、考え方を変えたり行動を変えることで現実をより良いものにして行くというアプローチではなく、身体の中に抑圧された感情のエネルギーを解放していくことで、深い癒しを導き、人生のより深い霊性に触れていく霊的成長を促します。
あなたの現実に起こっていることは、すべてこの霊的な成長を促すメッセージです。けれど、私たちの多くはそのメッセージの受け取り方を知りません。何度も同じような出来事が繰り返されているのは、神様が私をいじめてるからだと思ってしまったりするのです。
これは、天罰とか神様があなたを嫌っていじめているとかそういうことではなく、単に「ここに気づいて方向転換しなさい。そうすればもっとあなたは輝くし、喜びの中で生きていける。いつまでも地獄に居ないで、早く気づきなさい」という呼びかけなのです。
辛いときほど、恩寵は深いものです。
先が見えず、パニックになりそうな暗闇の中で道を求める時、痛みと混乱の中で必死に踏みとどまろうとするとき、じわじわと真綿で首を締められるような不安に苦しむときなど、そんな時でも必ず今見えているもの以上の計り知れない恩寵が働いていると、私はいつも感じるのです。
けれど被害者意識に陥った時、この恩寵はあなたから遠ざかってしまいます。というより、自ら恩寵を遠ざけて、より深い地獄に逃げ込んでいくようなものです。
私が挙げている感情の基本的性質のひとつに、「抑圧された感情のエネルギーは、それと同じ質の感情を感じさせる出来事を引き寄せてくる」という法則があります。難しく書いているようですが、たとえば怒りを抑圧すれば、怒りたくなくても怒りを感じさせるような出来事が引き寄せられてくるわけです。
抑圧された気持ちは、自分自身に存在を否定されています。「お前は私の中に居てはダメだ。決して姿を見せてはならないし、声を上げてもならない」そんな風に言って、心の奥底の暗い部屋にカギをかけて閉じ込め、厳重に封印しているのです。
存在を否定され、無き者にされることほど悲しいことがあるでしょうか。自分がされても嫌ですよね。だから封印された感情は、自分の存在を認めてもらうために、自分を思い出してもらうような出来事をまるで磁石のように引き寄せてくるのです。「僕はここに居るよ。いないことにしないで!」と。
あなたがその気持ちのカケラを憎み、疎ましく思うほどに、その気持ちは執拗に自身の存在を主張します。あなたがそれを認め、受け入れ、本当に抱きしめるまで。
たとえば、自身の怒りを恐れている人は多いですが、怒りを表現してしまったら、愛する人に嫌われてしまう、私は見捨てられ、独りぼっちになってしまう、それは耐えられないと、深いところではそんな恐怖があったりします。
あるいは自分の弱さを否定し、強く在ろうとする方は男女問わずたくさんいらっしゃいます。けれど、そういう方ほど自分の弱さをまざまざと思い知らされるものです。
自分が弱いと人から蔑まれるとか大切なものを失う、惨めな思いをするなどといった心の痛みがあるので、どうにかしてそれを回避しようと頑張ります。そして、強く在るためにありとあらゆることをするでしょう。
頑張り屋さんや忍耐強い人ほど、抑圧が強く、自分が本当は何から逃げているのかに気づかずに、方向転換が遅れるケースは多いです。我慢できないほどの出来事が起こってはじめて、メッセージに耳を傾けるようになるというように。
けれど何もそこまでものごとを深刻にする必要はありません。小さな呼びかけの段階で、気づき応答していけばいいだけです。
何か嫌な出来事が起こった時は、出来事を何とかしようと格闘するのではなく、まずはそれを引き寄せた自身の内側に在る感情のエネルギーに対処するのが正解です。それができれば、出来事の方は鏡に映った像ですから、驚くほどあっさりと済んでいくでしょう。
先日消失したブログを再構築してく中で、私はどこに助けを求めたら良いのか方々を探し回りました。けれどサポート対象外と言われることが何度か続きました。その時私は、「自分の中で取り組み対象外にしているものがあるのだ」と気づきました。
そこで、そのとき浮上していた強烈な焦りや不安などの感情にしっかり取り組みました。その直後に対応してくれる人が見つかったのです。現実は、自身の心の在り様の写し鏡であることを改めて感じた出来事でした。
このように、あなたが自身の心の痛みを受容すればするほど、現実は穏やかに優しいものになっていくのです。